お盆の施餓鬼供養のため、部落のお寺にお坊さんがやってきました。
隅々まで掃除したり接待の準備をしたり、僕も含めて部落の人間はせっせと働きました。
午後4時、終わったら宴会です。
お坊さんを交えての宴会。
個人的にお坊さんと話をしていたのですが、どういう話の流れで行き着いたのか今時の大学生の話になっていました。
最近の若者は自分でモノを考えることをしなくなったと。
平和に慣れ、なんでもかんでも不自由なく与えられるから自分から何かを求める必要がなくなってしまったとのこと。
なぜ自分は生きるのか。
社会に対して何ができるのか。
なぜ人を殺してはいけないのか。
なぜを考えなくなってしまったと嘆いていました。
僕は農業を仕事にするようになってからなぜを強く意識するようになりました。
なぜ耕すのか。
なぜ畝を立てるのか。
なぜ直接タネをまかないで苗をつくるのか。
なぜこのサイズで収穫するのか。
ひとつひとつの行動に対して、それをやるのにはどんな意味があるのかを考えながら農作業を組み立てています。
人に言われたから、本にそう書いてあったから、という行動はなるべくなくすようにしています。
こういう意識は学生時代、サラリーマン時代には薄かったような気がして、すべての責任を負う自営業だからこその意識なのかなという感覚はあります。
日常生活でもナゼをしっかり根付かせられたら、きっといい方向に進んでいくことでしょう。
慣れないと疲れますけどね。
多品目栽培でこんな間違いをしていませんか?
たくさんの種類の野菜を同時に育てる、かんたんに表現すれば家庭菜園を大きくしたような農業。
このような、いわゆる多品目栽培は、有機農業ではよくやられている方法なのでご存じの方もいらっしゃるでしょう。
そして、多くの農家がやってるんだから自分にもできるだろうと、独学で、農家研修で、栽培の基本を学んでから実際に自分でやってみるのですが・・・
このときすでに、じつは大きな間違いをしています。
有機農業が慣行農業の5倍も儲かるって!?
有機農業者は、あまりお金の話をしたがりません。
「収入に魅力を感じて農業をしてるんじゃない。わずらわしい人間関係から解放されて、健康的な暮らしをしたいから有機農業の道を選んだんだ。」
と、収入は二の次だと言います。
だからこそ見えなくなっていた真実。それは、
有機農業はちゃんと稼げる
ということ。家族を養っていくことくらいは簡単に実現できます。しかも、栽培がうまいとかヘタとか関係ありません。誰でも実現できるものです。
ただし、条件があります。
それは・・・