酷暑、台風、地震。
2018年は天災の厳しい年になっています。
これは農業にとって試練の年、といってもいいほど大変なこと。
ハウスが倒壊して途方にくれたり、いくら潅水してもしおれて枯れていく作物たちがいたり。
どうしようもない災害に遭って苦境に立たされたり。
5年やっていようが10年やっていようが関係ないほど、経験を無にするような強烈な試練が常に襲いかかってきます。
だからこそ、現場の声は厳しい。
こんな時代に農業なんてやってられん!と。
農業で食っていくなんて夢物語だ、やめたほうがいいと。
じゃあ、今から農業をやろうとすることはNGなんでしょうか。
厳しい世界に足を踏み入れずに、今の仕事を続けているほうがいいんでしょうか。
考えさせられます。
別の言い方をすれば、
不安定を受け入れる覚悟がなければ農家になれないのか。
牧歌的で、桃源郷のようにみえた農業の世界はたんなる幻想だったのか。
ということ。
現状だけをみていれば、ネガティブな意見しか出てきません。
天候に左右されやすい仕事だからこそ、天災の多い年には意見もネガティブ。
それくらい厳しい業界だと言ってもいいのかもしれません。
でも、、、
もっと深いところ、本能に近いところで心に問いかけてみると
いや、やっぱり農業の道に進むべきだ。
と思える瞬間があります。
農業はこれからの時代の、価値ある仕事だ。
と勇気を奮い立たせることができます。
キーワードは童心。
ぜひ最後までご覧ください。
目次
ギリギリ危ないことが男の勲章
子どものころを思い出してください。
やらなくてもいいのに無駄に高いところに登って、そこから飛び降りる。
友達よりも少しでも高いところから飛び降りようとする。
そして、足を痛める・・・。
「トンネルを出るまで息を止める!」
と意味のわからない目標を立てて、必死になって挑戦する。
そして、めまいがするほどクラクラする・・・。
ふつうに歩ける道路があるのに。
怪我しそうなケモノ道をあえて選び、草をかき分けガタガタ道を歩き、無駄に時間をかけて家に帰る。
結果、傷だらけ&泥だらけになって母親に怒られる・・・。
やっちゃいけないのを分かっていながらピンポンダッシュして。
ちょうど通りかかった近所のおじさんに一部始終を見られて怒られる・・・。
とにかく無謀なこと、無茶なことをやってましたよね?
とくに男子。
ギリギリ危ないことって男の勲章みたいなところ、ありませんでした?
あれって正常なことなんです。
けっして間違ってない。
子どものころは、まだまだ社会のルールを知りません。
どこまでやっていいのか、どこまでがセーフなのかを知りません。
だからやりたいようにやるし、周りの目とか気にしないで好きなようにふるまう。
失敗を繰り返しながら、ここまではOK、これをやったらNGなんだと学習していくわけで。
これって本能なんですよ。
理性とか規制とかに縛られない、人間としての本能に任せた行動によって、自分自身の存在意義を示そうとする。
男子なら、自分こそが一番だとアピールするための行動。
子どもの頃にやっていた、あえてギリギリを攻めていく感じ。
あなたは覚えていますか?
狩猟の記憶が刻まれている
原始時代、男の仕事は狩猟が基本でした。
獲物をとるために命がけで動物たちと戦い、ときには傷つくこともあるし、死んでしまうことだってある。
命のやりとり、ギリギリの状況のなかで生き抜いてきた経緯があります。
そして、
生存競争は、なにも動物との戦いだけではありません。
他の男よりも自分が優れていることをアピールできなければ、自分の子孫を残すことができない。
狩りができる優秀な男にこそ女は寄り添うから。
だから必死に、競争に勝ち残ろうとした。
他の男よりも大きな獲物、たくさんの獲物をとるために自分ができるギリギリのところまで突っ込んでいたはずです。
男は、ギリギリの状況に置かれることが当たり前の世界に生きてきた。
生きるか死ぬか、そういうゲームを繰り返してきた。
原始時代の記憶。
つまり、ギリギリ感は本能に刻まれているわけです。
現代社会では大人の本能は消えかけている
現代は違います。
命をやりとりするようなヒリヒリした日常を送る人はほとんどいません。
社会の中で生きていさえすれば、生存を脅かされることは少ない。
ある程度の生活は、社会から保障されています。
社会をつくり、コミュニティを形成し、定められたルールのなかで生活していくように縛られているとも言えますが。
それが悪いということではありません。
社会の中では、男としての本能が削り取られているのがお分かり頂けるでしょうか。
だってギリギリ危ないことをする必要がないんですから。
もともと男は、原始時代の記憶から冒険心や探究心を旺盛に持っています。
それを、社会という枠の中で抑え込んでいるのが現在の姿。
DNAなんてものは長い年月をかけて少しずつ変わっていくもので、人間社会の変化ほど急激には変わることはありません。
文明社会はここ1000年とか2000年で急速な変化を遂げてきましたが、人間のDNAや本能といった要素は何万年、何十万年とかけて刻み込まれているもの。
たかだか2000年では大きくは変わりませんし、社会の変化についていけていません。
だから、男は生まれたときからギリギリ感に飢えています。
冒険心や探究心を抱いて生きています。
社会という枠が、それを隠しているだけ。
子どもたちが、やたらと無理・無茶をしまくるのは、本能に従って行動しているからで、社会のルールに従うよりも本能に従うほうが強いからです。
童心を思い出させてくれる仕事
農業は、天候に左右されて栽培の成否が大きく揺らぐし、天災に影響を受けて落ち込むことも多い。
なかなか不安定な仕事です。
そして。
うまくいくのか、いかないのか。
ちゃんと収穫できるようになるのか。
家族を養っていけるだけの収入をコンスタントに得られるのか。
常に不安にさらされる仕事でもある。
生きるか死ぬか、直接的ではないにしろ、ギリギリ感を強く味わえる仕事でしょうね。
だからこそ、農業は男に向いていると言えます。
女は、家を守り、子どもを一人前に育てる、コミュニティを維持するという本能が強いので、安定感があったほうが能力を発揮できます。
不安定な農業の第一線に立つと、その能力が活かされない可能性が高いです。
逆境に立たされたときにこそ、気持ちが高ぶってなんとかしなきゃと気持ちを奮い立たせたりする。
オレの実力はこんなもんじゃない!
と根拠のない自信をちらつかせながら日々を過ごす。
精神的にも体力的にもギリギリの状況のなかでも、成功を夢見てニヤニヤしながら目の前の作物の世話に力を注ぎ続ける。
こんなバカげた、子どもの冒険心に近いような体験ができるのが農業です。
子どもの頃にみた、無限に広がる可能性。
だれにも邪魔されないでっかい夢。
童心を思い出させてくれる仕事は、それほど多くないでしょう。
毎日を、ドキドキしながら、ワクワクしながら過ごしたい。
そう思うなら、農業はオススメです。
子どもの頃に体験した、危ない橋を渡るあの感じを、また味わいましょうよ。
多品目栽培でこんな間違いをしていませんか?
たくさんの種類の野菜を同時に育てる、かんたんに表現すれば家庭菜園を大きくしたような農業。
このような、いわゆる多品目栽培は、有機農業ではよくやられている方法なのでご存じの方もいらっしゃるでしょう。
そして、多くの農家がやってるんだから自分にもできるだろうと、独学で、農家研修で、栽培の基本を学んでから実際に自分でやってみるのですが・・・
このときすでに、じつは大きな間違いをしています。
有機農業が慣行農業の5倍も儲かるって!?
有機農業者は、あまりお金の話をしたがりません。
「収入に魅力を感じて農業をしてるんじゃない。わずらわしい人間関係から解放されて、健康的な暮らしをしたいから有機農業の道を選んだんだ。」
と、収入は二の次だと言います。
だからこそ見えなくなっていた真実。それは、
有機農業はちゃんと稼げる
ということ。家族を養っていくことくらいは簡単に実現できます。しかも、栽培がうまいとかヘタとか関係ありません。誰でも実現できるものです。
ただし、条件があります。
それは・・・