無農薬野菜は奇跡じゃないけど野菜の存在そのものが奇跡

木村秋則
(自然栽培農家:木村秋則氏)
奇跡のリンゴ
映画にもなった有名な話なのでご存じの方も多いと思います。
絶対に不可能だといわれた無農薬リンゴの栽培を成功させた木村秋則氏にまつわるストーリーです。
年に十数回も散布する農薬により体に不調を訴える妻のために、無農薬での栽培を決意。
何度も失敗を重ね家族に苦労をかけ、10年近くも収入のない状態が続く。
自殺をしようと入った山で、虫が付いていないクルミの木を発見。
その木をヒントに自然栽培という考え方に辿りつき、世界で初めて無農薬リンゴの栽培に成功する。

というような話です。
生産者として、経営者として、家族を養う身として、個人的にいろいろと思うところはありますが、消費者としてみれば感動的ですしそのリンゴを食べてみたいと思わせる力があります。

非常に有名なのでたまたま奇跡のリンゴを取り上げましたが、このように無農薬栽培には美談がよく似合うんですよ。
奇跡のようなストーリーが合うんですよ。
そしてそのようなストーリーが背景にある農産物は、すごく魅力的に映るので買ってみたいと思ってしまうんです。

 

奇跡のリンゴは奇跡ではなかった

でも。
ストーリー自体はともかくとして、無農薬で農産物を育てていくことが奇跡なのかといえばそんなことはありません。
リンゴなどの果樹は全般的に無農薬栽培が難しいのは確かですし、それを成功させた木村秋則氏の功績は素晴らしいものです。
でもそれを詳しく見ていけば、なぜ無農薬で栽培することができたのかを詳しく分析していけば、そこには奇跡は存在しなくなります。
栽培でやっていることひとつひとつには根拠があり、さまざまな要因・要素がつながっていて、それらを理解していくことで奇跡的な現象はじつは起きるべくして起きたものだということが分かります。
もちろん科学的に証明することが全てではありません。
全てを説明することは難しいですし。
ここで言いたいのは、自然に起きていることはすべて科学的に説明できる、なんていう固い話ではなくて、
栽培においては奇跡に頼るのではなく、
なぜ成功したのかなぜ失敗したのか、
考えて、仮説を立てて、検証する。
これを繰り返していくことで、どうやったら無農薬で育てることができるのか理解できるようになってきます。
最初は奇跡的にできたかもしれない無農薬野菜も、すこしずつ、なぜ無農薬でも育てられるのかが分かってくるんです。
つまり。
奇跡だと思っていたものが奇跡ではなくなる。
ということです。

だから。
奇跡のリンゴの話でいえば。
何度か無農薬でリンゴを育てることができてしまえば、それがなぜできたのかを考えて立証して、栽培を体系化できれば世の中に広めていくことができます。
最初は奇跡だったかもしれないけど、あとから振り返ればじつは奇跡なんかじゃなく根拠があるものだった。
というだけの話です。
10年くらい収入がなくて家族を路頭に迷わせた、そこからひとつのきっかけを元に人生大逆転してみせた。
その生き方そのものは奇跡だと言えますが、栽培そのものに関していえばそこに奇跡的なものは一切ありません。

逆に、栽培において奇跡があったら安定して毎年食べてもらうことができません。
奇跡だと感じるものは、できるだけなくなるように努力していくのが農業という仕事です。

 

野菜の存在そのものが奇跡

じゃあ農業の現場において奇跡はまったくないのかというと、そんなことはありません。当たり前のように、目の前に、奇跡は存在しています。
みなさんの食卓にも当たり前のように存在しています。
野菜。
野菜という植物自体が、奇跡みたいなものです。
たとえばキャベツ。
キャベツは約2500年前くらいから栽培されている野菜だと言われていますが、もともとは今のように葉がしっかり巻いて玉になるような野菜ではなく、葉が外に広がっているいわゆるふつうの植物のような姿をしていたようです。
ケール
そんな姿のキャベツを育てていると、何万個のうちの一個か何百万個のうちの一個か、葉がくるくると内側に巻いたようになる異常なキャベツが出てきます。
人間にもいますよね、何百万人にひとりの特異な性質をもっている、という人が。
それを、キャベツのなかにいた特異な姿をしているものを見つけて、それからタネをとって次の年に育ててみる。
育った新キャベツは、全体的には葉が内側にくるっと巻いたようなものが多くなっています。
今度はそのなかから、さらに葉の巻き方が強いものを選んでタネをとっていく。
そのタネを播いて、育てて、さらに巻きが強いものを選ぶ。
これを長い年月をかけてやってきた結果が、葉がしっかりと巻いている今のキャベツなんです。

全体としてみれば異常だと思われる性質を拾い上げて、その特徴を後世に伝えていく。
異常に異常を重ねて、その特徴を強固なものにしていく。
こうして出来上がったキャベツという植物は、自然界の中ではありえないような異常な姿なんです。
人間の手による操作があってはじめて、キャベツという植物ができあがったんです。

その過程、野生の植物からキャベツを誕生させるまでの道のりは、それは奇跡ではありません。
証明できるものです。
でも。
今のキャベツの姿だけをみれば、そこに存在していること自体が奇跡みたいなものです。人に育てられることでようやく植物として生きていける存在。
人と共存することで自然界で生きていける存在。
葉が巻いているものを選ぶ、その行為ひとつひとつは小さな変化だけど、長い年月をかけて積み重ねることで大きな奇跡になった。
キャベツはそういう植物なんです。


ほかの野菜にも、同じように人間によって変化させられてしまったものがたくさんあります。
人間と共存してきた野菜という植物がたくさんいます。
本来自然にあるべき姿ではなくて、人間が人間の都合によって勝手に性質を変化させられていった異常な姿です。
それらはみんな、自然界では奇跡的な存在なんです。

これと同じで。
奇跡のリンゴはやっぱり奇跡なんですが、無農薬だから奇跡なんじゃなくて、リンゴの存在自体が奇跡なんですよ。
(まあ、そんな奇跡のリンゴを無農薬で育てたから、木村氏はすごいんですが。)
リンゴは、本来自然にあるべき姿ではなくて、人間が人間の都合によって勝手に性質を変化させられていった異常な姿だということ。
自然に生えているべき姿ではないということです。
 

ということは。
野菜を育てるときは、果樹を育てるときは、自然に育てようと思ってはいけないということです。
自然に任せておくと、自然にあってはならない異常な植物である野菜や果樹は、自然淘汰の対象になってしまうということです。
自然の循環システムをお手本にするのはもちろん大切ですが、人間が手をかけてある程度は守ってあげることを考えなければ、健全な生育はできないと考えてもいいくらいです。

無農薬で栽培することはかまいません。
もちろん可能ですし、人間が守ってやらなくても健全に育つ野菜もたくさんあります。
でも。
野菜には奇跡の血が流れていることを知っておくべきですし、果樹に関してはそのほとんどが奇跡に寄り添った植物だということを理解しておいてください。
そして、それを頭に入れたうえで、農作物に対して自分はなにをしてあげるべきだろうか、どこまで手をかけてやるべきだろうか、といったことを考えてみてください。

無農薬で育てたい。
自然栽培で育てたい。
そのような小手先テクニックに心を奪われる前に、まず作物と向き合ってみてください。

 

 

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