栽培方法の違いは価値のひとつにすぎない

有機農業と慣行農業。
昔からよくいがみ合っていて、相容れない溝のようなものがあります。
有機農業は慣行農業を否定し、
慣行農業は有機農業をうざいと感じる。
常にいがみあっています。
栽培面積でも生産量でも
慣行農業:有機農業=99:1
と圧倒的に差があるので
慣行農業から見れば有機農業は虫けら同然。
でも
有機農業サイドは農薬の危険性や化学肥料の持続不可能性を指摘し
自分たちこそが正義だと主張し、
声高に有機礼賛を叫び続けています。

その声に一部の消費者が反応し、
農薬は危険!慣行農業は悪!
みたいな空気が生まれちゃってるもんだから
慣行農業は
ウザいレベルを超えて無視できなくなっています。

・・・
これってすごくもったいないと思いませんか?
慣行だろうが有機だろうが、
よい農産物をつくりたい、食べてもらいたい。
その志は同じはずです。
自分たちこそ正義だと主張することに
どれだけの意味があるんでしょうか。
相手を蹴落として自分をよく見せることが
日本の農業にとってよいことなんでしょうか。

そんなわけないでしょう。
お互いのよいところを認め合い、
共に成長していくライバル関係として
しのぎを削っていくのはいいでしょうけど
他者を否定しても百害あって一利なしです。

・・・
ここで変わらなきゃいけないのは有機農業サイド。
他者を否定しているのは有機農業側ですからね。
言ってみれば慣行農業は被害者です。

農薬を全面的に否定したところで、
無農薬で国内全生産量を維持できるわけでもないんだし、
化学肥料を有機肥料にすべて置き換えることなんて
現状ほぼ不可能なんですから、
農薬も化学肥料も完全否定すべきではないです。

だったら慣行農業のよいところを認めつつ
有機農業がもつ知見・技術を共有する。

ゆるやかに歩み寄っていけばいいんじゃないでしょうか。
まずは減農薬、減化学肥料。
慣行だ有機だと二元論で考えるんじゃなく
グラデーションがあっていい。
僕はそう思います。

えっ?
そんなことを認めたら消費者が混乱する?
過去に混乱があったから有機JAS法が生まれた?

もちろんそうなんですが、
それは栽培方法を農産物の最優先価値にしてしまっていることが
要因としては大きい。
どんな栽培をして育てられたのか、
食の安全は守られているのか、
その指標を農薬や化学肥料にもとめているだけ。
その指標をもとに分類するから、
基準や表示が複雑になって
消費者の混乱を招くんです。

・・・
農薬、肥料を基準にしたらダメだと言ってるわけではありません。
安全性や環境負荷に消費者の関心が強いから
そこが重要視されているわけだし、
基準はあるべきでしょう。

でも、安全性や環境負荷は価値基準のひとつにすぎません。
農産物の価値って他にもっとたくさんありますよ。
栄養価、糖度、味、鮮度、品種、
パッケージ、規格、色、形、
体験、サービス、希少性、ストーリー

消費者が「これいい!」
と心を揺さぶられる魅力つまり価値って
農産物にはたくさんあるんですよ。

その中から農家自身がチョイスし、
前面に打ち出す。
農家自身の強みと掛け合わせながら
価値を提供していく。

それができれば、
農薬うんぬん肥料がうんぬん
栽培方法でいがみ合うことが
どれだけ視野の狭いことなのか、
冷静に考えられるようになります。

有機農業と慣行農業。
どっちでもいいです。
その違いは農産物が山のように持ち合わせている
価値のひとつにすぎませんから。
お互いを認め合い、
手を取り合って
様々な価値提供ができる農家が増えることで、
日本の農業がもっと盛り上がるといいですね。

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